いよいよ風見鶏の館非公開エリア、地下室と屋根裏部屋に潜入です。
1階ホールにある階段の左手にある扉を開けると、そこには地下室と屋根裏部屋に通じる階段があります。
地下は外からその存在を確かめることができます。
地下室と屋根裏へ通じる階段の幅は人が1人通れるほどの狭さ、そして急な階段となっています。
まずは地下室。何これ。倉庫やん。
中に入ると誰がどう見ても書類置き場。書類棚には「ATOK2007」などのコンピュータソフトの箱も置かれてるし…でも、ところどころ建築当時の名残が見え隠れしています。
なぜ、風見鶏の館に地下があるのか。館長さんが手にしているのは江戸時代後期の北野天満神社を描いた「神戸覧古・北野天神」の図。この絵はブラタモリ神戸編でも紹介されています。
この絵によると神社の横、今の風見鶏の館がある場所をよく見ると池になっているのです。つまり、風見鶏の館は池の水を抜いて、池の底に建てられたため、地下室が存在していたのです。
ただ、この地下室、建築当時の資料がないため、復元することができず、現在は倉庫となっています。
地下には阪神・淡路大震災後の耐震工事の模型が置かれていました。
風見鶏の館では、およそ3万5000個のレンガが使われていますが、耐震工事では、レンガひとつひとつに穴を開け、その穴に針金を通して、壁面全体に張り巡らせた耐震補強の金網と結び付けられているそうです。こうすることにより、阪神・淡路大震災級の地震が来てもレンガは大きく飛び散らず、見学者を守ることができるとのことです。
ちなみに阪神・淡路大震災後の風見鶏の館のレンガは被災前のレンガを裏返して壁面に張り巡らしているそうです。
地下室から狭くて急な階段を一気に駆け上がって屋根裏へ。
狭い地下室と違って屋根裏は壮観。テレビアンテナがある以外は、いかにも屋根裏です。
今でも阪神・淡路大震災で柱がずれた跡を見ることができます。また柱には建築当時の宮大工による複雑な組み木がしてあり、震災復旧工事でも現代の宮大工を悩ませたとか。
ちなみに煙突には1階、2階の暖炉が4個つながっています。明治時代の建物ですが、セントラルヒーティングが実装されていました。
屋根裏の片隅(風見鶏の尖塔の真下)には小さな部屋があり、使用人の部屋だったと言われています。
ただ館長さんはこの説に異を唱え、貿易商トーマスさんが、公にできない武器などの商談をここでしたのではないかという説を主張しています。しかし、この説はブラタモリに出た大学の先生に一笑されたとか。
風見鶏の館探検ツアーはここで終わりです。
実際は館長の面白いガイドで約70分かけて風見鶏の館の隅から隅までをめぐります。
館内探検ツアーは年に数回あり、またテーマによって3種類のツアーが企画されています。参加には予約不要ですが、人数限定のため、参加を希望する人は事前に公式サイトで情報をチェックしておいてください。
※公式サイト:風見鶏の館:神戸北野異人館