2階ホールにある実物大の風見鶏のレプリカの前で説明する、風見鶏の館・土居和孝館長。
いまや神戸の市章にしてもいいのではないかと言うぐらい、神戸のシンボルとなっている風見鶏ですが、なぜ、トーマスさんは風見鶏を自宅に取り付けたのでしょうか。
理由は3つあり、1つ目はヨーロッパの建築物に取り付けられる風見鶏と同じく魔除けとして。2つ目はキリスト教の信仰上の理由、そして3つ目は、まさに「風見」。
風見鶏の館に取り付けられている風見鶏は今も風が吹くたびに回り続けていますが、トーマスさんは貿易商でもあったことから、風を見て、船の入港状況を予測したそうです。
さて、風見鶏の館の2階の内装は1階と比べて質素なのが特徴的。なぜなら、2階はトーマス一家のプライベートエリアという位置づけだからです。
でも、ところどころに驚きがあります。まず、この部屋。実は「朝食室」なのです。朝食だけのために部屋があるなんて、なんと贅沢なんでしょう。
朝食室の隣にある広々とした部屋は、トーマスさんの1人娘エリザさんのために作られた子供部屋です。
実は、トーマスさん、この館には、わずか6年間しか住んでいませんでした。トーマスさんは、エリザさんを上級学校に進学させるため一時的に帰国したのですが、その直後、第一次世界大戦が勃発。日本とドイツは敵国同士となり、トーマスさんは二度と日本の土を踏むことはなかったのです。
ところがエリザさんは、その後、劇的な偶然で、風見鶏の館を訪れます。
1970年代後半、ドイツにいたエリザさんは、地元の新聞で、日本のドラマで話題になったドイツ風建築物を神戸市が買い取るという新聞記事に目がとまります。その建物は自分が子供の頃に住んでいた家ではないかと直感したエリザさんは神戸を訪れ、かつての自宅と“再会”を果たしたのです。
その後も、風見鶏の館を訪れ、その際、神戸市の担当者に子供の頃、神戸で撮影した写真を提供。神戸市は、この写真をもとに内装を復元したのです。つまり、今の風見鶏の館はエリザさんの子供の頃の様子が再現されているのです。
ベランダの窓。
窓ガラスは今も明治時代当時のガラスが使われており、微妙にうねっています。このガラスを通った日差しが床に映し出されるとムラができるので、それがわかります。
風見鶏の館の南側の窓が大きく作られている理由は、日当たりよりも、神戸港の船の出入りを見るためだとか。いかにも貿易商の家です。
ベランダの天井の梁には穴が開いている箇所があります。ここには子供用のブランコがつり下げられていたそうです。
ちなみに、写真には撮っていませんが、現在、お土産コーナーになっている部屋はトーマス夫妻の寝室でした。
いよいよ、ブラタモリ神戸編でタモリさんも潜入した非公開エリア、地下室と屋根裏に潜入しましょう。
※写真は『ブラタモリ 12 別府 神戸 奄美』(NHK「ブラタモリ」制作班・KADOKAWA)の74ページより