更新 : 2021/1/25
東神戸地域には、古くから「菟原処女伝説」という悲しい恋の物語が語り継がれています。
その伝説は、古くは奈良時代の『万葉集』に登場し、平安時代の歌・物語集『大和物語』、南北朝時代には謡曲・能『求塚』に語り継がれ、近世では森鴎外によって戯曲『生田川』が書き下ろされ、さらには川端康成の未完の小説『たんぽぽ』にも着想を与えました。
いったい、どのような伝説だったのでしょうか。
『摂津名所図会』(1798年刊行・国立国会図書館所蔵)より
昔、葦屋(現在の東灘区から芦屋市)に、菟原処女という気立てが良くて美人な女性が住んでいました。菟原処女は、ある日、地元の菟原壮士と、和泉国の茅渟壮士の2人の男性から、同時にプロポーズされました。
2人の男性は結婚相手としては甲乙つけがたく、悩んだ菟原処女は、生田川の水鳥を最初に射貫いた男性と結婚することを提案。しかし、2人の男性は同時に同じ水鳥を射抜いてしまったのです。
菟原処女は「私のために2人の男性が争うのは申し訳ない」と生田川へ身を投げます。それを知った2人の男性も、後を追いました。
この出来事に悲しんだ3人の親はあの世で結ばれるよう、菟原処女の墓を挟むように、それぞれの男性の墓を作って、弔ったと伝えられています。
【原作】
『万葉集』
・「過葦屋処女墓時作歌一首」(田辺福麻呂・巻9 1801〜2)
・「見菟原処女墓歌一首」(高橋虫麻呂・巻9 1809〜11)
・「追同処女墓歌一首」(大伴家持・巻9 4211〜12)
『大和物語』
・「生田川」(147段)
【注釈】
※登場人物名は「菟原地区に住む未婚女性」「菟原、茅渟地区に住む若い男性」という意味で、実名はありません。また、出典によって登場人物名が異なるため、当サイトでは女性は『万葉集』、男性は『大和物語』の登場人物名に統一します。
※『万葉集』では、茅渟壮士は千沼壮士、小竹田壮士という名前で表記されています。
※謡曲『求塚』では、菟原処女は、菟名日処女と表記され、2人の男性は『万葉集』では同一人物とみられる血沼丈夫と小竹田男が別人として登場し、なぜか菟原壮士のモデルになる人物は登場しません。
※森鴎外の戯曲『生田川』では、菟原処女は自殺を思いとどまり、故郷を離れて、新たな人生を歩む結末となっています。
今も、この伝説の舞台が残されています。
今回は「文学散歩」と洒落込んで、伝説の背景を追いながらお散歩してみましょう。