公開 : 2021/1/18 , 航空写真追加 : 2023/1/22
神戸には乙女塚古墳という可愛らしい名前の古墳が存在していました。
「え?、処女塚古墳ではなくって?」
現在は「乙女塚古墳」と書かれた石碑だけが、その存在を伝えています。なぜかお地蔵様が鎮座。石碑にお供え物があるというカオスな状態になっています。
「おとめづか」を名乗っていますが、歴史的背景から処女塚古墳に代表される菟原処女伝説とは、あまり関係はありません。
かつて、この古墳は「天王塚古墳」という名前であったことが知られています。しかし、安土桃山時代、大阪城築城のため、古墳の葺き石や土砂が持ち去られ、古墳は無残にも破壊されてしまいました。
では、なぜ「天王塚」が「乙女塚」になったのか。それには、こんな“伝説”が語り継がれています。
破壊された天王塚古墳の跡地に、とある商人が茶店を開いたそう。でも、破壊された古墳に客は来るはずはなく、そこで、当時、観光地として有名だった処女塚古墳の名前を騙り、この古墳を「乙女塚古墳」と名付けて客を呼び込むことにしました。
これが大ヒットするものの、店主は間もなくして原因不明の病で亡くなってしまいます。その後を継いだ人も、謎の病で亡くなり、地元では古墳の名前を偽った祟りと恐れられたそう。
真偽はともかくとして、こんな話があれば、お地蔵さんも祀られますよねーって、偽名である“乙女塚古墳”の名が、現代に、そのまま残っとぉやん!
現在の乙女塚古墳の跡地は、日本香料薬品という会社の敷地になっています。同社の敷地には鳥居と祠が祀られています。
江戸時代から大正時代の地図には、この地に「天王塚」「乙女塚」の2つの古墳名が記載されています。上の地図は1915年に発行された『神戸古今対照地図』(神戸市教育会発行・神戸市立中央図書館所蔵)。
こちらは国土地理院が保管する1947年に撮影された脇浜町の航空写真。写真中心部に目玉のように写っている区画が脇浜乙女塚古墳。
航空写真で見ると小さな古墳のように見えます、神戸市が編纂した『新修神戸市史』によると、この2つの古墳は同じ古墳で、西北西を前方とした全長120mのホタテ貝型の前方後円墳であったと記されています。
その規模は処女塚(東灘区御影塚町)の全長70m、西求女塚(灘区都通)の全長95m、東求女塚(東灘区住吉宮町)の全長80mと比べても、天王塚古墳(乙女塚古墳)は“桁違い”に大きいことから、古墳が破壊される前は、菟原処女伝説の古墳として伝えられていた可能性も否定できません。
既存の3古墳が地図上に出てくるのは江戸時代以降、発掘調査は明治時代以降であり、この天王塚古墳(乙女塚古墳)が破壊される前、安土桃山時代以前は登場人物の誰かの墓として見られていたかも…。なんといっても、3古墳よりも生田川に近いですしね…などと、いにしえに想いをめぐらしてみるのも面白いです。