とも姐の神戸散歩

阪急御影駅と御影城跡

公開 : 2022/2/20 , 写真追加 : 2022/5/29

阪急御影駅

久しぶりに阪急御影駅に来てみたのですが、ずいぶんと綺麗になりましたね。

阪急御影駅

駅のホームはこんな感じ。右側のホームの下に階段が隠れてますね。昔はここまでがホームだったようです。

御影城跡

駅の山側には、御影の歴史を学べる広場ができてました。まず見ておきたいのが、御影城跡の碑。

御影には「城ノ前」とか「大手筋」といったバス停や大手筋商店街など、城にちなんだ名前の場所があります。この地名からして御影に城があったことがわかります。

古文書から、御影に城が存在していたことはわかっていますが、正確な位置は今もわかっていません。

碑には神戸のヒストリアン・田辺眞人先生の解説がありますが、ちょっと難しいので私流に解説すると…。

南北朝時代、御影城は播磨を支配していた武家・赤松氏の家臣だった平野忠勝が居城したことから「平野城」とも呼ばれていました。しかし平野氏は南北朝時代の混乱で城を明け渡し、その後、弓弦羽神社近くで農家にジョブチェンジしたそう。

御影

「御影」の地名の由来を示す鏡張りの碑。

ここにも田辺眞人先生の解説がありますが、ざっくり解説すると、神功皇后が、この辺りの泉に自分の顔を映して化粧直しをしたことから、この辺りは「おんかげ=御影」と呼ばれるようになったとか。

しかし、その伝説の由来となった泉(御影おんかげ写し所)は、阪神の御影駅の下にあって、ここから南へ1km以上も離れたところにあるんですけどね。

御影

御影の松

この辺りは『源平盛衰記』などにも登場するほどの、美しい松林が広がっていたそうで、平安時代の歌人は、その様子を歌に残しました。

神戸市に編入される前の御影町の町章も松が図案化されていたそう。今ではその面影はなく、モニュメントと化した松が1本だけ植えられていました。後ろは藤原基俊・藤原正房の歌。手前には、ここでも田辺眞人先生の解説がありました。マッコト先生大活躍です。

※公式サイト:阪急電鉄おでかけ情報 御影駅

御影町章のマンホール

旧御影町章が入ったマンホール
御影町章は、御影公会堂の白鶴ホールの舞台上部にも描かれています。

※公式サイト:阪急電鉄おでかけ情報 御影駅

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