公開 : 2020/1/12 , 写真追加 : 2022/1/16
1924年に作られた、堂々たる3連アーチ橋ですが、悲しい物語があります。
1945年3月17日の神戸空襲では、大輪田橋に避難してきた市民を空襲の炎が包み、多くの命が失われたそうです。
欄干が黒ずんでいるところは空襲の火事によるものだそうです。
空襲から半世紀が経った1995年1月17日午前5時46分。阪神・淡路大震災の震度7の揺れがこの橋を襲い、親柱が倒れるなどの被害が出ました。
このとき倒れた親柱は、震災から25年経った今も橋の東側にモニュメントとして保存されています。
欄干にも補修の跡が見ることができます。
この橋は、神戸空襲と阪神・淡路大震災の2つの大惨事を、現代に伝えています。
ところで、橋の柱を、よく見ると、ところどころに、かたつむりを見つけることができます。
このかたつむりは1998年に震災で倒壊した親柱のモニュメントへの道しるべとして制作されたものだそう。作者はポートアイランドの「かたつむりの広場」を制作した環境造形Qのメンバー・小林陸一郎氏。
橋を渡りきり、橋のたもとに来ると地元住民により建立された「戦災殉難者慰霊碑」があります。空襲により、この橋の下で命を落とした方々を慰霊しています。
「戦災殉難者慰霊碑」の裏側から橋の下を臨む。
運河の入江から大輪田橋全景。
運河沿いには堤防や倉庫の壁には、魚の絵が描かれています。
橋の山側にある大輪田水門。