公開 : 2022/1/16
兵庫区内をお散歩していたら、裏道で、すごく小さな神社を見つけました。神社の広さは5坪ほど。最初はお地蔵さんか、街角によくある小さなお稲荷さんかと思ったのですが表に堂々と「大川神社」の銘がかかっていました。
お散歩で訪れた神社は全て参拝していますので、当然、大川神社も参拝させて頂きました。小さな社殿の中には、この神社の来歴が書かれていました。
この神社がこの地に祀られたきっかけは1876年までさかのぼります。当時、この地に伝染病が流行。この状況に困り果てていた住民は、疫病除けに御利益があるという神社が丹後国(京都府北部)にあるとききつけます。町の有力者数名が、その神社に詣で、分祀してもらったのが、この大川神社なのだそう。
事実、京都府舞鶴市に同じ名前の「大川神社」が今も存在しています。直線距離にして約100km程度。電車も自動車もない時代、相当な覚悟を決めて、詣でたことでしょう。
それから7年後の1883年にも伝染病が流行りましたが、この神社のおかげで出在家地区からは1人の罹患者も出さなかったとの言い伝えが残っています。
その後、社は空襲で全焼しますが、戦後、住民たちにより再興。現在にその姿を留めています。
では当時の伝染病がなんなのか、神社の来歴では触れられていないのですが、調べてみると、この神社が創建された1876年、天然痘予防規則布達が出され、日本最初の強制種痘(強制ワクチン接種のようなもの)が定められたそうです。
さらに1883年の伝染病について調べると、前年に神奈川県でコレラが発生。1886年までに全国的にコレラがまん延、死者が10万人を超えたとの記録があります。
このような小さな神社ひとつとっても、いろんな歴史がつまっているものですね。
大川神社の場所は、初代県庁館の向かい側・シブいアサヒビールの看板がある貫田商店の裏側の道にあります。