公開 : 2019/11/10 , 写真追加 : 2023/1/20
兵庫運河の新川運河にかかる築島水門。
ここが港町神戸の原点となった大輪田泊があった場所です。
大輪田泊は平安時代後期、平清盛によって築かれた日宋貿易の拠点。つまり平安時代の国際貿易港がここにありました。今の神戸港とは違って、天然の入江に港が築かれ、現在は、その一部が運河として残っています。
水門を海側から見てみると…はっきりいって「チャラい」です。描かれているのは地元のアイドルグループ「神戸・清盛隊」。 平清盛が大河ドラマになったときに結成され、今も根強い人気があります。
築島水門の山側には古代大輪田泊の石椋が保存されています。
1952年、運河の浚渫工事の際に、等間隔に打ち付けられた松杭と、巨石20数個が発掘され、そのうちの1つが、モニュメントとして残されています。
これらの遺跡は大輪田泊の防波堤か突堤の跡と考えられています。発掘当時は、大輪田泊沖に作られた人工島「経ヶ島」跡ではないかと考えられたそう。
「経ヶ島」とは『平家物語』などに細かく造成当時の様子や存在が記されているにもかかわらず、未だに場所は特定されていません。
造成前の占いで、海の神の怒りを鎮めるため、30人の人柱を海に埋めるようお告げがあったものの、清盛が人柱を使うことを嫌い、海の神の怒りを静める方法として、埋め立て用の石にお経を書いた紙を包んで海に沈めたそう。その経緯から「経ヶ島」と名付けられました。
実は経ヶ島造成には、こんな話もあります。清盛は今の生田神社付近に関所を設けて、人柱用に30人の旅人を捕獲したものの、これを知った讃岐国香川城主の息子が、旅人を解放して、自分1人を人柱にしてお経と一緒に沈めて欲しいと懇願、実行したという話も残っています。
※参考サイト:神戸市:平清盛と神戸 経ヶ島