とも姐の神戸散歩

水害復興記念碑

公開 : 2021/10/10

水害復興記念碑

三宮と新神戸のほぼ中間にある巨大歩道橋・加納町歩道橋。ここでは歩道橋の下に注目してみます。

個人的に目をひいたのは「水害復興記念碑」。1938年7月に神戸市街地に甚大な被害をもたらした阪神大水害の復興を記録した記念碑です。

この碑は水害から2年後の1940年に、ここから北西150mほどの加納町2丁目に建てられましたが、2007年に加納町歩道橋の下へ移設されました。

水害復興記念碑

1938年阪神大水害での、この辺りの被害は新生田川の暗渠化でせき止められた土石流が、加納町へ流れ込み、その先の三宮へも大きな被害をもたらせました。

この水害復興記念碑には何が書かれているのか、現代語訳にしてみました。当時の状況がリアルに伝わってきます。

水害復興記念碑

昭和13年7月5日の豪雨は前月末の連続降雨に一層の猛威を加え、苧川おかわ(布引にある生田川水系の川)布引渓谷は樹木土砂を崩壊させて押し流し、濁流滔々とうとう、さらに間の谷桜谷よりの奔流を加えて猛然として加納町に襲来し、街路はたちまち濁流が激しくなり修羅場と化し、わずか1時間あまりに死者12名、家屋の被害全半壊埋没など実に220有余を数える惨状となった。

豪雨が収まってからも、街路は広大なせきとなり土砂の堆積は、およそ3mに達し、その間を貫流する水流に流木を架け、僅かに両側の通路にするのみ。悲惨で荒れ果て、実に筆舌に絶するものである。

町民は少数の自宅残留を除き突嗟の間、辛うじて塩原学園・藤井忠兵衛・近藤忠吉・三友倶楽部イスタンロッジ各邸に避難して、わずかにその身を逃れるを得たり。

この突発的で悲惨な光景の中に町会役員を非常召集して復興団を組織。役員自ら幹部となり義援金募集、対外連絡、復興人事組織、炊き出し及び救援品の配給、土砂除去作業などの部門に分かれて大活動を開始し、市当局の了解のもとに町民の一糸乱れざる協同努力と、各方面の後援とにより苦難の復興事蹟も大いに進捗し、9月1日には早くも市電の開通を見るまでの復興した。これに従事した人員はのべ17500余名、これに要した経費は9600円(2020年現在の物価に換算するとおよそ500万円)であった。

ああ、大自然の暴威戦慄の惨禍はしばらくして復讐する。今、昔を思い出し、ますます感慨に我慢できず、これに記録して記念とする。

神戸区加納町2丁目発起人(氏名・役職名略)

家族 松本雄治

水害復興記念碑の横には「家族」(作・松本雄治、1984年)と名付けられた彫刻がありました。

ここに限らず、フラワーロード沿いには数々の彫刻が展示されています。

史跡 旧生田川

加納町歩道橋から見た旧生田川の石碑。

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