公開 : 2020/8/2 , 写真追加 : 2024/10/13
鉄人広場から新長田1番街を通り抜けると見えてくるのが大正筋商店街
その名前の通り、商店街の歴史は大正時代にまでさかのぼります。昭和初期には100店舗以上が軒を連ねた賑やかな商店街だったそうです。
戦後は三宮センター街が大正筋商店街のアーケードを参考にするほど、神戸でも最先端の商店街として発展しました。
しかし、1995年の阪神・淡路大震災で新長田地域は大規模火災により焼け野原となります。
その後、日本最大規模の再開発事業と言われた復興事業が計画され、大正筋商店街の両側には、その中心的事業である再開発ビル「アスタくにづか」が建設されましたが、写真を見てもわかるとおり、広くて明るく綺麗な商店街なのにシャッターが目立ちます。
地面には、震災復興にエールを送ったオリックスブルーウェーブの選手、コーチ、監督ら、そして歌手、タレントらの手形やサインが書かれたタイルが敷き詰められています。しかし、震災のあった年に「がんばろうKOBE」を合言葉に掲げてリーグ優勝を勝ち取った名将・仰木監督の手形やサインは見るも無惨な状況です。
そしてアジサイのマンホール
再開発ビル「アスタくにづか」はシャッターが下ろされたスペースが目立ちます。
一時は神戸アニメストリートなどで、サブカルチャーの拠点にする動きもありましたが、最終的に破綻してしまいました(これにはドロドロした話がありますが…)
いっぽうで、これだけのシャッター通りに店が入れば、三宮に次ぐ繁華街になっていたかも知れません。商店街に面した再開発ビル「アスタくにづか」は、写真以上に広大で、そのほとんどがシャッターがおろされたままとなっています。でも、ちょっとした発想の転換で、この商店街は蘇る可能性を秘めていそうです。
最後の写真は、横山光輝の『三国志』をリスペクトした「孔明わん」の石像。かつてはこのビルの中庭に「三国志ガーデン」というエリアがありましたが、今では、それもありません。(近くの六間道商店街に移転したっぽい)