公開 : 2022/5/4
阪神青木駅近辺をお散歩していたら兵庫県に於ける素麺発祥の地の石碑を発見しました。
兵庫県には全国区の知名度を誇る播州素麺「揖保乃糸」があるというのに、摂州青木で兵庫県の素麺発祥の地を名乗るなんて!…と思われますが、江戸時代後期から明治時代にかけて、六甲山南麓は奈良の三輪素麺とならんで素麺の生産が盛んだったそうです。
この地域で作られた素麺は江戸時代に「灘目素麺」「上方素麺」の名で江戸へ送られ、明治時代に入るとパリ万博などにも出品され優秀賞を獲るほどだったとか。
「灘目」といえば、以前お散歩した「灘目の水車」で、その名前が出てきます。この辺りは良質な小麦が収穫され、住吉川沿いの水車で挽かれて、素麺も作られたそうです。
また、播州の人が灘目素麺の技術をもらって、揖保乃糸に代表される播州素麺を発展させたとも言われています。
素麺の碑の横にあるのが「青木の石臼」、その右側にある石は「酒絞り重し石」。それぞれ清酒造りに使われていた道具で、この地で発掘されたそうです。
神戸から西宮にかけての日本酒の産地は「灘五郷」と言われますが、その昔、青木地区でも酒造りが盛んだったことを今に伝えています。しかし明治時代後半、酒造の機械化の波に取り残され、青木地区での酒造は途絶えてしまいました。
もし今も青木で酒造りが盛んだったら「灘六郷」だったかもしれません。
素麺の発祥の地の石碑には「魚屋道の出発地点」の刻銘が見えます。
「魚屋道」とは、大阪湾で捕れた海産物を六甲山を越えて有馬温泉へ運ぶための道のこと。その距離は約12km。江戸時代には午前4時に始まる「有馬の朝市」に出店する魚屋さんが、夜中の零時に、この地にあった魚市場から魚を担いで出発していたそう。
素麺発祥の地の碑の西側には「西国街道まわり道」の碑がありました。
西国街道とは大和(奈良県)と九州を結ぶ街道。近代化に伴い、街道周辺も開発され、当時の道をたどれない場所が出てきたため、2004年、神戸市がここに「回り道」の道標を作った…らしいです。
この街角の全景。
「お願い 誰が見ている 野良猫にえさをやらないで!」の看板が風景に割り込んでこんきます。
しかし、この角、いろんなものが集中していて情報量が多すぎる…。