〜実はここが真のグッゲンハイム邸〜
公開 : 2022/7/3 , 写真追加 : 2024/5/26
塩屋を代表する異人館・旧グッゲンハイム邸と呼ばれている洋館の山側にあるのが、今回ご案内する旧ライオンス邸。
実は歴史的事実から、この建物こそ「旧グッゲンハイム邸」と呼ばれるべき建物だったのです。
グッゲンハイム邸とライオンス邸の名前が取り違えられていたことは旧グッゲンハイム邸1階編で書きましたので、そちらを参考にしていただくとして、ここではなぜ、間違った建物名が広まったのかをご紹介します。
この問題を指摘した明石高専建築科の水島あかね准教授らの論文によると、建築誌『新住宅』1969年8月号に、グッゲンハイムを知る日本人の発言として「最初北側の洋館をニッケル・ライオンズ商会主のライオンズ(J.Lyons)が建て、すぐ引き続いてグッゲンハイム邸ができたように記憶する」と掲載したのが、そのきっかけではないかとのこと。
以来、ライオンス邸とグッゲンハイム邸の名前が取り違えて、現在まで、広く知られるようになりました。
結局、当時、解体計画があった旧ライオンス邸(と伝わる洋館) は取り壊されず、旧グッゲンハイム邸(と伝わる洋館)とともに、明治時代の塩屋の雰囲気を今に留めています。
※参考リンク: 神戸市塩屋の洋館・旧ライオンス邸と旧グッゲンハイム邸 - 2つの住宅の取り違え問題と新事実について(日本建築学会技術報告集 第28巻第68号・PDFファイル)
[2023年7月撮影]
久しぶりにこの辺りをお散歩していたら旧ライオンス邸(と伝わる洋館)が、骨組みと屋根だけになっているではないですか!!
表玄関から建物を見てみると、こんな感じ。
前述の通り、一時は解体の話もあった旧ライオンス邸(と伝わる洋館)ですが、屋根と骨組みが残っているということは解体ではなさそうです。このあと明治時代の異人館がどのように生まれ変わるのか。今後が楽しみですね。
[2024年5月撮影]
23年夏に壁が取り払われた旧ライオンス邸(と伝わる洋館)が、その後、どうなったのか、ふと気になって訪れてみました。壁、出窓が復元されているではないですか!
反対側へ回り込んでみました。こちらも復元されています。
門には貼り紙が掲出されていたので見てみますと、「既存建物の調査・復元」の文字。そして工事が完了するのは今年の12月とのこと。次は12月に訪れてみますか。
旧ライオンス邸(と伝わる洋館)の裏口から見た塩屋の海。右側はグッゲンハイム邸(と伝わる洋館)の屋根。この路地を下りれば、旅情を掻き立てる塩屋の踏切です。