関西における近代建築ビルヂングの最高傑作・大阪市中央公会堂(1918年竣工)にやってきました。国指定の重要文化財でありながら、今も現役の公会堂として活用されています。
設計には、東京駅丸の内駅舎(1914年竣工・重要文化財)やみなと元町駅(1908年・旧第一銀行神戸支店・登録有形文化財)も手がけた辰野金吾も参加しています。
少し引いてみました。思わず「ルネッサーンス」と叫びたくなるようなルネッサンス様式の巨大な建物です。
屋根に何かいますね。
これはローマ神話に登場するミネルヴァとメルクリウスの像。学問や商業の神々です。大阪の発展をここから見続けてきたんですね。最近の大阪についてはどう思ってるのかわかりませんが…
中之島公園のシンボルでもあります。訪れた日は「中之島まつり」と重なりました。
南側へ回ってきました。ここからは、この公会堂のルーツにも想いを馳せてみます。
この公会堂は、明治から大正時代にかけて株式の売買で財を成した相場師・岩本栄之助(1877〜1916年)が私財をなげうって建設されました。
日露戦争に出征していた宮本は大阪へ帰還後、実家の両替商を継ぎます。
そして、岩本は両替商の資金を元手に株を購入します。当時、多くの相場師は、日露戦争終結により景気は低迷し、株価は暴落する見込んで一斉に株を手放していました。ところが岩本の“逆張り”は見事に的中。株価はその後、暴騰に転じ、巨万の富を得ました。
岩本は株で得た財産は、貧しくて学校に通えなかった勤労少年らに学校進学を勧め、そのための塾などを設立するなど、社会へ還元することを考えていました。
公会堂の裏側にあった煉瓦の見本らしき展示。プレートに解説が書かれていたと思われるのですが、消えてしまって読むことができませんでした。
話を明治時代に戻します。公会堂建設のきっかけとなったのが、岩本がアメリカへ行ったときのこと。
アメリカの富豪は私財や遺産を公共事業に投じていることに感銘を受け、自らも私財をなげうってアメリカにも負けないようなホールを大阪に建てることを決意したそう。
西側。正面玄関の真裏になります。
1911年、岩本は父の遺産と自らの財産をあわせて、現在の貨幣価値で数十億円を大阪市へ寄付。この資金を元に公会堂の建設が計画されました。
1913年、東京駅の設計者・辰野金吾らの設計により、建設が始まります。
北側。
1914年、岩本は株で莫大な損失を出し、生活にも影響が出てきます。周囲からは大阪市に寄付したお金を返してもらえればいいのではないかなどと言われましたが、岩本はこれを「大阪商人の恥」として聞き入れませんでした。
公会堂完成が近づく1916年10月、岩本はピストル自殺を図ります。岩本は自らが提案した公会堂の完成を見ることなく、還らぬ人となってしまいました。享年39歳。
その2年後、大阪市中央公会堂が竣工。現在も現役の公会堂として大阪の文化発展の一翼を担っています。
北東側から。
お祭りの日ということもあり、周りにいろいろあって魅力が半減してしまいますが、このアングルから見るとカッコいいですね。
※公式サイト:大阪市中央公会堂