とも姐の神戸散歩

冨永家住宅

公開 : 2020/12/6

冨永家住宅

大正時代末期、現在の芦屋市と神戸市の市境付近にロシア革命を追われたロシア人らによって13棟の洋館が建てられました。いつの頃からか、この地域は「深江文化村」と呼ばれるようになり、国内外の著名な音楽家らが集ってきました。

当時の建物は現在2棟しかなく、冨永家住宅はそのうちの1棟。1925年ごろ竣工で、国の登録有形文化財ですが、現在も個人の住居として使われています。

※ちなみにもう1棟は古澤家住宅。こちらも訪れています。

冨永家住宅

深江文化村地区に残る古澤家住宅はロシア風ですが、こちらはアメリカ風。日本におけるツーバイフォー構法の原型とも言われ、建築史的にも貴重な建物だそう。

写真では西日がきつく、外壁の色がわかりにくいですが、濃い緑色をしています。そして白枠の木製サッシ。白い煙突も特徴的です。

冨永家住宅

大正時代、神戸を拠点にしていた財閥・鈴木商店シアトル駐在員だった冨永初造が帰国後、木材部材をアメリカより取り寄せて、アメリカ人建築家・ベイリーに設計を依頼し、日本人の大工が建てたそう。

また、この建物は1938年の阪神大水害、1995年の阪神・淡路大震災を経験していますが損傷は少なく、可愛らしい外見とは裏腹にタフな建物でもあります。特に震災では、ここから山側へ200mほどのところにある阪神高速道路が横倒しになったにも関わらず被害は軽微だったとのこと。

冨永家住宅

庇で猫が気持ちよさそうに昼寝しています。

深江文化村

冨永家住宅の隣にあった集合住宅群。

「文化村」発足時の建物は古澤家住宅と、この冨永家住宅の2棟しか現存していませんが、その後に建てられた建物もこの写真のように個性的です。それは文化村が持つ「ハイカラ」な雰囲気を今に引き継いでいるように思われます。

神戸深江生活文化史料館でもらった資料によると「文化村」の名前は1922年、東京で開かれた博覧会会場の一角に「文化村」と名付けられた和洋折衷の住宅展示場があったことから、それに倣って名付けたのではないかという説かあるそう。また、当時の深江の人たちは「外人村」とよんでいたとか。(『生活文化史』45号参照)

また、北野の異人館街のように観光地化されていないのもいいですね。神戸っ子でも存在を知っている人は少ないので「私だけのお気に入りの散歩コース」として、そっと訪れたい場所でしょうか。

※参考サイト
文化遺産オンライン「冨永家住宅主屋」
文化遺産オンライン「冨永家住宅附属屋」
鈴木商店記念館・冨永初造邸
日本ツーバイフォー建築協会・耐久性:冨永様邸訪問記

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