公開 : 2023/1/9
ふりがな無しでは読めない難読神社・敏馬神社。「敏馬」とは、今でこそ知名としては消滅していますが、岩屋地域の古い地名で『万葉集』にも登場します。
敏馬神社は平安時代の『延喜式』にもその名があり、生田神社、長田神社とともに神戸で最も古い神社として知られています。
万延元年(1860年)製の石灯籠。
この神社の由緒は神功皇后が三韓征伐に行く直前にまでさかのぼります。
神功皇后が三韓征伐の勝利祈願をしたとき、現在の大阪北部にあったとされる美奴売山の木を切って船を造れば勝利するとのお告げを受け、その通りにしたところ、新羅に勝利。その帰路、この地で船が動かなくなったことから、これは美奴売山の神の意志として、この地に神社を創建したのが始まりとされています。
実はこの伝説、生田神社の由緒にも酷似しており、生田神社とは姉妹の関係と言ってもいいかもしれません。
この伝説から、この神社は航海安全祈願に御利益がありますが、最近はもう一つの“御利益”があることで知られています。
その御利益とは「縁切り」。一説には江戸時代、遊女が悪縁解除の願掛けをこの神社でするようになったことが、今に受け継がれているそう。とはいえ、今では、初詣に若いカップルも訪れており「良縁を残して、悪縁だけを切る」と解釈されているようです。
敏馬神社は岩屋地域の鎮守としても親しまれています。交通量の多い国道2号線沿いにあるにもかかわらず、神社の一角はひっそりとした佇まいを残しています。
※参考サイト:敏馬神社の歴史 (みぬめ脇浜エコロジー賛助会)