公開 : 2022/8/21
モノトーンの佇まいがシブい異人館・パラスティン邸(1914年竣工)。
以前は喫茶店だったと思うのですが、営業している感じがしないですね。そして北野町の異人館にしては珍しく西向きの建物です。
そして看板には日本語だけでなくキリル文字…ロシア語の表記も見られます。
かつての、この建物の持ち主はロシア人のパラスティン氏でした。しかも、パラスティン氏は革命と戦争に翻弄される運命で、安住の地として最終的に神戸へやってきました。
パラスティン氏は、1922年のロシア革命当時、ロシア軍の将校だったそうです。しかしロシア革命でソビエト連邦が誕生すると、夫婦で中国東北部を経由して日本へ逃れてきます。
日本ではまず広島市に住まい、洋服店を営みます。しかし1945年の原爆投下により被爆。また自宅が倒壊し、下敷きにもなったそう。
戦後、安住の地を求めて、同胞が多く住む神戸へ移住、そのときに買った建物が、この異人館でした。ここで貿易会社を立ち上げ、1984年に89歳で亡くなったとのこと。
しかし、ネットでパラスティン邸の情報を調べると、明治後期建築とか、パラスティン氏が大正時代から住んでいたとか、サイトによって違う情報が出てきます。これほど情報が錯綜している異人館も珍しいです。
パラスティン氏がここに住んだのは戦後になってからのことは確かなようで、神戸ハリストス正教会(中央区)には広島原爆で被爆したと伝えられるパラスティン氏の聖像画が保存されているそうです。