公開 : 2019/10/20
石川株式会社本社のきれいな煉瓦造りの社屋に目を奪われていると、つい、見落としてしまうのが、この「賀川豊彦生誕地」の碑。
賀川豊彦は1888年にこの地に生まれ、神戸で貧困者救済の活動をはじめ、関東大震災の被災者救済活動に身を投じ、その後、日本で初めての生活協同組合(コープ)などの組合組織を設立にも関わりました。
戦後はノーベル平和賞・文学賞候補にも名前が挙がるほど、賀川の活動は世界的にも評価されました。
賀川豊彦の活動拠点があった中央区には賀川記念館があります。
なお、生誕地の碑文は以下の通り(原文のまま)。
賀川豊彦 1888〜1960
1909年12月24日、21歳の賀川豊彦は貧困にあえぐ人々のために献身しようと、当時、劣悪な環境で生きることを強いられた人々が生活する地域に入っていきました。賀川豊彦は当時死の病と恐れられていた肺病を病み、余命幾ばくもないと宣告された身体でしたが、貧困と差別のただなかにあって困難を抱えた人々と共に暮らし、徹底してこれらの人々のために働いたのです。
その1909年から1923年までの14年にわたる神戸での活動は、福祉の向上を目指してキリスト教伝導にはじまり、労働運動、農民運動、協同組合運動(生活、農業、漁業、林業、医療、共済)、平等運動、無産政党活動に発展しました。その働きは、神戸に止まらず、関東大震災の救援を契機に日本全国に広がりました。
賀川豊彦は、福祉、教育、医療、生産、労働、協同組合、平等、人権、共生という、私たちの暮らしを支える根幹を築くことに、その生涯を捧げました。
ここ旧神戸市兵庫島上町108番は、その賀川豊彦の生家があった場所です。賀川豊彦は1888年7月10日にここで生まれました。
2009年に賀川豊彦の献身100年を記念した数多くの事業のひとつとして、この記念碑を設置することとされました。
※公式サイト:賀川記念館